まだ使えるぞ、という感覚
写真はお気に入りのブーツ。
直近2年間くらいはペースが落ちたもののもう7-8年履き続けてきた代物。
しかしとうとうソールが剥がれグラグラしていたので、修理に出そうかななどと考えながらも面倒だからと放っておいた。
とはいえ玄関を出入りするたびにこの方がなぜか目に入ってくる。「いっそ、捨ててしまって新しいのを買おうかな」という考えが頭をよぎったのは正直なところ。
でも持ち前の優柔不断さを発揮して放置して半年ほど経った今年の春先のこと。その日は、庭の土がすこしぬかるんではいたもののどうしても隅っこの雑草を取り除いておきたかった。そう、まちがいなくこの方の出番だった。
「とりあえず今日だけしのげればいいや」
その対策がガムテープぐるぐる大作戦だった。以来、数ヶ月間テープを張替えつつもそのまま使っている。庭仕事に海にまったく問題なし。むしろふしぎなほど愛着が増しているというこの感覚はとても大事にしたいなと思う。
このような感覚は自分の中で自然に湧いてきたもの。ただ、それは個人の経験から発生するものだといっても、多かれ少なかれ他の誰かやなにかの影響を受けているはずだ。「ものは大切に」「ものへの愛着」といった思考は社会的なものだから。つまり、最大多数ではないかもしれないが、他の誰かともつながれる共通の感覚視点でもあるといえそう。
そういう意味では、市場性という名の下に外側ばかりに目を向けるのではなく、もっと自分自身の感覚に正直になっても良いかも知れない。いってみれば「自分発マーケティング」だ。
そのような思考ベースによるイメージビジュアル化は、AI時代を席巻する計算思考とはまた異なる個人としてのヒトの心・経験の価値を軸に据えたものになるだろう。
今後もよりしっかりと向き合っていきたいアプローチ。
探求はつづきます。