「ミレー的労働表象のアップデート」
ジャン=フランソワ・ミレーは、おおざっぱにいうと、フランス革命の時代、農民を主題とした絵画作品をはじめて提示した画家です(と美術史上語られています)。
そういう側面を知らずに純粋に昨品だけを眺めていると、なんと素朴な絵を描く画家なんだろう!という感想を持った純粋素朴ないやそこで思考が止まってしまいがちな自分が確かに存在していることは強調しておかねばです….
美術評論家のジョン・バージャーによると、
ヨーロッパの画家で彼のように農業労働を主題に据えた人はいない。ミレーの生涯にわたる仕事は新しい主題を古い伝統へと導入することであり、それまで顧みることのなかった事柄を語るための伝達手段を導き出すことであった。
「見るということ」ジョン・バージャー
新たな視点を得れば新たな解釈が生まれます。いまではむしろ改革派の旗手としてのミレーとしか見えなくなっています。もう簡単に影響受けすぎです。認知心理学の実験では典型的な素材として重宝されそうです…
気を取り直して、ところで、ミレーはその農業労働をどのような観点で表現したのでしょうか。おなじくジョン・バージャーの論をみてみましょう。
ミレーは都会人や特権的な人たちを相手にせざるを得なかったので、農夫の生活の過酷さ〜しばしばそれは疲労困憊の時なのだが〜を強調する瞬間をあえて取りあげた。
「見るということ」ジョン・バージャー
農民のリアルを世に、なかでもミレーの顧客層に位置するある階級の人々に向けて知らしめるという意図が、昨品のディテールに反映されているという点にインスピレーションを感じました。
その時代における農民生活のリアルとは「過酷さ」でした。つまり、ミレーにとってはその過酷さをつたえることが新しい主題だったのです。きっと都会の特権階級のひとびとにとっては新鮮なコンセプトと映ったことでしょう。勿論、画家の、作品の周囲の評価も高いことが前提条件だと思われますが。
これを、現代のイメージビジュアルにおける「労働表現」領域に重ねてすこしだけ考えてみました。
現状のイメージマーケットにおいては、「労働による喜びをさわやかかつポジティブに表象する」側面が主流であるといえます。勿論ニーズの中心もそこにあると想定されているからなのですが、ミレーが意図した意味での真のリアリティ(過酷さ)を伝えるというコンセプトがぽっかり抜け落ちているようにも思われます。いや、むしろそういったアプローチとは意図的に距離を置きどんどん遠ざかっているのではとすら見えます。
実際「リアリティ」にも様々な側面があります。さわやかに楽しく働くというイメージの流通が全盛ではありますが、一方でそれらはステレオタイプ化されていないか、との自問を怠ってはなりません。
流通に乗せる観点も忘れてはなりませんが、「労働のリアルとしての過酷さ」をコンセプトとする表現形態を新しい主題として検討してみることは、イメージビジュアルの多面性作りにも寄与しそうだなと思うところです。