「変容を待つ」

昨日、トランプ米大統領候補が銃撃されるという衝撃的なニュースが飛び込んできました。まずは、トランプさん、ご無事だとのことでほんとうに良かったです。

さて、今日提示している一枚のぼけぼけ写真の写真は、この事象の中でもとびきり象徴的なものとして`いまのところ`世界中が注目しているものです。

気の早い人々はピューリッツァー賞間違いなし!とまで言っています。もうちょい待ちたいですね。

そのニュースが飛び込んできたさなか、ものすごい勢いであれやこれやと解説するひとたちがあれこれとXに書き込みはじめていました。あくまでも日本語でみえてきた景色ですが、僕は「写真をやっている」「写真に関係している」なかには「芸術系」側の人々の書き込みに興味を持ちました。

それらの多くは、この写真の「価値」を瞬間を切り撮った撮影のアプローチ、高価な機材、そして写真家そのもののバックグラウンド、といった複合的な観点で語られているものが多いなと感じています。特に「歴史を動かす象徴的な一枚」といった内容には驚きを感じました…一旦はフェイクを疑う必要のある時代にもかかわらずこの見方に即座に乗っかっているメディアや記者も散見されました。

それらは作り手である撮る側とその周辺の視点に立っています。SNS時代になってそういった言説がすぐに出回るようになったことで拡散し易くもなっています。一枚の写真を咀嚼する速度よりも言説拡散のパワーのほうが勝っているような状況下では、初動の物言いがその写真のイメージ形成をリードしていく波に抗うことはかなり難しいものです。

しかし、個人的には一定のイメージの確立までもう少し時間が欲しいと思います。まだいくつかの視点、情報や解釈がでてくるはずなので時間経過とともに事象との関係性も変容してくるのではないでしょうか。「瞬間的反応」に引っ張られずそういった「変容」の兆しを待ちたい気持ちです。その先に、いまの僕にはぼけぼけに見えている一枚の写真の写真に焦点が合ってくる時がやって来るかもしれません。

イメージの定着、ましてや象徴化されるにはそれなりに時間が必要なはずです。

探求、探求!

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