ビジュアルの時間軸
先日の「寓意」に関する投稿ですが、一つ忘れてはならないのが他者の視点、つまりビジュアルの「用途」です。
そもそも何のために創作するのかは、当然ながら考慮する必要があります。
創作の目的
例えば「愛の寓意」の巷の解説によると、この作品は王族向けに描かれたいわばオーダーメイドかつ非常にプライベートな作品でした。したがって作者にはおそらく創作にあたって一定の制約があったと推測されます。しかし、現在はその歴史及び美術史的に意味づけられた文脈が構築され、当時の目的を超えて広く鑑賞の対象となっています。
創作の自由度
一方、利用者視点から見ればレディーメイド領域に位置付けられるストックイメージは、創作時点ではそもそも誰からもオーダーされているわけではありませんので「自由度」という観点からすれば「愛の寓意」よりも幾分広いスタンスで臨むことができるはずです。
しかし現状は「これは売れるだろうか」的意識が優勢で、まるで架空の発注者に縛られてしまっていると極端ですが言えてしまう状況もある気がします。(自分自身もその流れを作ってきたという自覚はあるのですけども….)
非常に限られた対象者向けに作られたある時期の芸術作品が、時間と共に鑑賞者対象を広げづつけている一方で、創作の自由度が高いはずのストックイメージが限られた対象で固定されてしまっている状況はよく考えてみると不思議です。
ビジュアルの時間軸
そこで、一つの思考実験の対象として時間と共に捉えられ方が変化するイメージの可能性みないなコンセプトに関心を寄せています。
具体的には構図にセットされた意味や意図がそれぞれ何とどう関連づけられているのかを、時代性や過去性・未来性などの盛り込み方の工夫であえて二次元ビジュアルそのものに時間軸を持たせてみるといったアプローチです。現在にも対応でき、ある軸の未来では異なる意味が浮き上がってくる、といった。めちゃくちゃフワッとしていますけども(笑
まぁそれが良い悪いというより「売れるもの」「人気なもの」に集約されすぎていて結果としてビジュアルの多様性を失っているかもしれないという危惧からのあくまでも試行錯誤の一つとしてです。
いずれにしましても、ビジュアルクリエイティブは一人の頭の中の思考実験で終わらせていては意味がありませんし伝わりません。能書き的に脳内であれこれ苦しみつつも大事にしたいのは #創造しよう であり #共創しよう です。