寓意というアプローチはありか?
題材として掲げた作品はアーニョロ・ブロンズィーノの「愛の寓意」です。
寓意=アレゴリー
ネット上でも「多くの解説」を読むことができますが、僕がこの作品を挙げた理由は、アレゴリー(=他の何かを語る)というアプローチに興味を惹かれたからです。
日本語では寓意と訳され、日本国語大辞典によると、「他の物事に仮託して、ある意味をあらわすこと」とされています。
その前提で作品にもう一度目を向けてみましょう。
通例では、
- 左端の頭を抱えた男
- 嫉妬の擬人化
- ヴィーナスとキューピッドを右から眺める男児
- 快楽の擬人化
- その男児の左後ろの見える症状
- 欺瞞の擬人化
- 右上の老人
- 時の擬人化
などと解説されメインの要素であるヴィーナスとキュービッドとの関係性の中で全体として意味をなす構図になっています。
ちなみにこれらは美術史的文脈上で説明されているものをそのまま記述しただけですので、勿論僕独自の見方ではありません。しかし、予備知識の無い状態で作品を見た時とそのように説明された後で、つまり知識を得た後では作品の見え方そのものが変わってくる部分もあったりします。
例えば左端の「嫉妬の擬人化」とされる男性などは僕には「一体この世界はどうなっているんだ」と混乱して悩みまくる男性に見えました。つまり表現を合わせるならば「混乱の擬人化」です。
そう解釈しても良いのかもしれませんが、ただ、この作品のそもそもの意図を理解した時の入ってくる印象はやはり格別なものがあります。
ストックイメージにおける寓意の可能性
そのような、解釈に若干不安定な要素を含む「寓意」というアプローチはストックイメージ分野ではあまり見かけません。
確かに「わかりづらい」「人によって解釈が異なる可能性がある」という特徴のあるビジュアルは使いづらいものでしょう。それはそうです。
しかし、この作品が書かれた時代のあえて寓意を施さなければならなかった背景を踏まえた上でも、このようなアプローチに可能性を感じてしまいます。
特に、メインで表現された対象と寓意として背景に配置されたもの・事柄等とを関連づける手法はもう少し多用を検討しても良いのではないでしょうか。その構成の意図が少し時間がかかっても理解されること、つまり「目で見る」から「心でも見る」という変化によってメインの対象を意味的に際立たせることにもなりビジュアルの訴えかけるインパクトが増してくる可能性があるでしょう。
加えて、背景に配置する対象の意味の数が複数になることで多義性も帯びてきますので、一枚のビジュアルが拾えるニーズの幅の広がりも感じさせます。
理解に時間をかける
現代のように刹那的に次々と無数の映像・画像が流れていく時代は、ビジュアルイメージにも直感的なわかりやすさが求められますが、反面忘れられるのも一瞬です。
だからこそ、理解に一定の時間がかかることでむしろ記憶に粘りつくような力のあるビジュアルのあり方を、現在の目線でアップデートしてみることの価値はあるように感じています。
その点でブロンズィーノの作品から刺激を受ける点も多いのでした。