アイデアの源泉としての主観性
イメージビジュアルの構想時点で、「アイデアが浮かばない」「何を撮ったら(書いたら)良いのかわからない」とスタックしてしまう状況は多くの人が直面しがちな状態かと思われます。
しかしながら、それはもはや動植物が生きていく上で乗り越えていくべき胎動プロセスの一要素のようなもので、クリエイティブ領域で生きていく私(達)にとっても当然のように内包されるべきものの一つだと捉えてみると幾らか気も楽になりそうです。
このような状態に陥る要因を把握するためには、まず何かに囚われすぎているのかもしれないと一度立ち止まってみることです。例えば「売れるものとは何か」というもの。これが本当に厄介です。その時点で曖昧な客観性(≒市場性)を気にしすぎるあまり、思考に何らかの枠(例えばマーケティング的枠)がはめられた状態になってしまっている可能性があります。
このサイクルを突破する一つの案としては、まずもって「主観・客観のあり方の転換」です。「主観が相対的で曖昧なもの」とどちらかといえばネガティブなものとされている世界を疑い、むしろ先行的に存在するであろう「私はこうしたいんだ!」という主観的意欲をあえて重視してみること。その意欲こそがアイデアが湧き出る源泉なのではないのかなと思うのです。
そして、ここがポイントなのですが、その主観的意欲を十分に引き出したのちにはじめて「市場に遡る」こと。先行している(と思い込んでいる)市場を追いかけるのではなく、市場というジャングルに落ちている拾われるべき断片を意欲ソナーに発見させるという方法論です。
先行的主観的意欲の強度は自ずとソナーの感度に比例するでしょう。つまり市場に遡行した時、その道筋で何某かを発見する能力も上がってくると考えられます。もちろん、その断片をどのように継ぎ合わせるかはまた別の作業スキルを要しますが…
ともかく、客観性全盛のこの時代に敢えて主観へ回帰すること、主観から始めてみることをもう少し見直してみたいところです。そうする事で、自分の根底からの意欲に立脚した着想を獲得できるし、ある種の独自性を保ったクリエイティブの確立が可能となるのではと想像したりしています。
探究とは終わりのないものですね!