Art Basel Hong Kong
去る3月23日から3月25日の期間で Art Basel Hong Kongが開催されました。
リリース等を読む限り周囲の情勢がどうであれ、規模的には成長している様子が伺えます。あー、アジアでの開催、行ってみたかったです。
さて、「アート」です。
そもそものところで「アートとは?」という定義に関する議論は実は定まっていないように思います。そこが面白いと感じる部分ではあるのですが、個人的にはアーサー・ダントーのいうところの「 Embodied meanings (受肉化された意味)」という捉え方が今後より見直されてくるのではと考えていたりします。日本語訳だと「受肉化された意味」となって何となくわかりづらくなるのですが「内面化された意味」という位の理解で良いかなと考えています。
なぜそう思うのかというと、アート領域は今後AIの進化との向き合いの中で否が応でも変化が強いられる分野の一つだと考えているからです。「表面的な造形」の部分でいえば、年初にも書いたように、過去から積み上がってきた既存データの組み合わせ力という意味では、人間にとっても圧倒的に不利な環境がしばらく続きそうです。おそらく生成AI画像そのものを使用せずとも例えばサンプリング的手法としての活用は活発になされるだろうと想像します。が、それはアート制作そのものの効率が爆上がりするのでアウトプットされる作品の氾濫にも繋がりえます。実際AIに生成させたものにどの程度価値があるのかという側面の議論はこれからかと思いますが、それでも表現手法という意味ではかなりの変革が起こり得ます。
そこで、だからこその「Embodied meanings=内面化された意味」の作品への反映。
これは個人的にフッサール現象学との繋がりを強く感じています。その関係性はまた別の機会に深掘りしていくとして、ここで言及したいのは、AIはいわば人間がアウトプットしてきたクリエイティブ群の優秀な在庫管理の達人であると例えられるなと思っていまして、その在庫管理人が探りに行けない対象が人間の意識(主観)でありリアルな身体の存在であるということです。そしてそこに存在する「内面化された意味」こそがこれからもクリエイティブの原初であり源泉であり続けるということです。
ですので、AIの対比的対象としての「アーティストの主観的意識への内面化・身体化された意味が表出する作品」の存在がむしろクローズアップされてくるのでは?と予想しているのです。
また、アーティストその人自身もそうですが、世界のアート市場は象徴的に100人のオピニオンリーダーの影響力が大きいといわれていまして、この体系的な市場が続く前提を取るとした場合、AIの繁栄する世界においては否が応でもこの方々の観点が変わるか、あるいは新たな志向性を持つ100人の登場が進む事も想定でき、今後のアート市場の変化を先導して行く一群となるはずです。
そういう大きな変化の可能性を感じる領域としてのアート市場、中でも人間起点のクリエイティブの源となり得る領域にフォーカスしたアートにこそ、改めて強い関心を持っていきたいと思っています。
ちなみに、Art Basel Hong Kongで観られるアジア発クリエイティブも世界のアート市場にインパクトを与えつつあります。例えば今回出典しているギャラリー群の扱うアーティストや作品を定点で覗いているだけでも、どういうアーティストや作品を打ち出していきたいのかという全体的な流れが何となく掴めてきたりします。そういう行為を通して自分の意識に現れる芸術的感覚に刺激を与えていきたいですし、その中で気になったアーティストにも注目していきたいです。
次回は何とかリアルな現場に駆けつけたいと思います。
(*アイキャッチに掲載した写真は、昨年夏に家族旅行で長野に寄ったときに行った「松本市美術館」の常設展「草間彌生 魂のおきどころ」で撮影しました。)