信念に基づいた発言と行動

今回のタイトル、少し大げさなものになっているかも。

でもまぁその文字通りに心にグッとくる動画がTLに上がってきたので備忘的に残しておきます。

気になったところを少し抜き出してみます。

(リサーチやポジショニングと言った)「他の人々に自分達のあり方を聞いてより本質的な存在を目指す?笑っちゃうよ」「自分達が信じていること、それに合わせて発言し行動しろよ。信念に基づいた行動を!何を身に付けるかもね。それに対して周りも反応するんだ」

もうこれに尽きます。

まず最初に、そういう自分の信念(きちんと言語化することも含めて)に忠実に徹底して向き合い、そしてそういう部分に共感し合える人々と一緒に働くことについての熱さというか心に湧き上がってくる何かが自分の中に確かにあるんだということを再確認しました。

ただ、これは本気でピュアに信じられる対象としての「信念」がまず先にあってそれに沿ったものであるかどうかが最も重要だということを肝に銘じておく必要があります。

しかしながら、実はそういった「信念」は本質的には人間の主観に現れてくるものだと思っているので、例えば会議などでそれこそ多様な思考を持つ多くの人たちと合意形成することの難易度は非常に高いといえるでしょう。

そういう意味で、その「信念」に対して、現象学的ないわゆる『意識に現れる事物の妥当性を得ることのできる条件』を突き詰める作業が、多様な人々との本質的な認識合わせにハウとしても機能してくるのではないかとの可能性を最近はよく考えています。また、そのような活動を継続的に実施していくことそれ自体にも組織論的には一定の意味があるのだろうとも思います。

組織的な文脈で他者と共通理解を持つこととは、完全一致を目指すというよりは「そういう方向にいけるよう互いに継続的にやっていこう!」と、そういう関係性を育めるかということではないでしょうか。

そういえば、この動画の中の「何を身に付けるか」という言葉にも反応したのですが、つい先日投稿した「黒衣+」に書いた内容と図らずもですが重なっていて共感しました。

(黒子という存在と)イメージビジュアル(の創作)の役割も何だか共通点を感じています。決して表に出る必要性がないというか、でも社会にとって欠かせないというそんな存在。そういう意味では全身真っ黒で統一すべきかなと思うのですが、そこまではまだ踏み切れないの何とも中途半端な状況ではあります。しかし、そういう役割を自認していくことを徹底するためにも装いに反映していきたいと思っています。

黒衣+」METANOIA BLOG

探究続けるぞ!

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