現象学、一旦エポケー

昨年、イメージ⇄ビジュアルの領域が今後どうなっていくのだろう、とあれこれ悶々としている時に、(いや今もなのですが…)、「主観性」の可能性に刺激と気づきを得たのは現象学でした。

入門書を2冊(現象学入門 ) (初めての現象学 ) 読んで、「よし、なんとなくわかったぞ」という感覚になり、現象学の祖と言われるエトムント・フッサールの主著の一つである「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」を今年の3月くらいから読み始めました。

それは、文庫版で500ページ強のボリュームでした。読み始めは特に問題はないだろうと踏んでいました。しかし今となってはそれはかなり甘い考えでした。

もうかれこれ3ヶ月近くコツコツと毎日読み続けてきましたが、むしろどんどん無知さが深まっている感じでまさに暗闇の中を彷徨っているような日々でした。

「俺、何してるんだ?」とかなり不安にもなりました。それくらい難解な本です。そもそもあるレベルの哲学的前提知識を持ち合わせていないと歯が立ちません。

そんなわけで、ところどころ付箋を貼りそれなりの気づきや刺激もあるにはありましたが、358ページ目・第57節に到達したところで読み進めるのを止める判断をしました。まぁ自分でもよくここまで読んだなという思いは胸にしまっておきます。

つまり現象学用語で言うところのエポケー(本質に迫るための判断中止)しておこうかなと。いや、完全にこの言葉の使い方自体も間違っているのですが、少しでも獲得した知識を誤用だとわかっていても使ってみないことには、このやるせない気持ちが収まりません。

現象学については、今一度入門レベルに立ち返ることにします。この本は、付箋の箇所をちょこちょこ引用したりしつつも、またいつか余裕がある時に戻ってきたいと思っています。物事には順序があるのです。

探求は続きます。

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