生産的な日々を生きること
50台後半といえば僕もいわゆる「アラ還」世代です。ある程度経済に貢献しなければと消費もそれなりに楽しんでいきたいのですが、最近はより生産的に生きるということに傾倒しつつあります。
まさに今書いているこのブログなども含め、仕事面や私生活面において何か意味のあるものを自分の内から作り出すことをいつも考え実際に行動もするというような日々でありたいなと思っています。
「物事を作り出す」という前提に立つと、なんとなく流されていく日々の思考や行動を変えていかざるを得ないことに気づきます。そして何かを作り出す行為はとてもエネルギーを要しますので、自分の限られた熱量をどこに使うのかというバランスも考えることになります。
なぜこのような事を考えるに至ったかというと、自分という人間のどうにも止まらないサガみたいなものに起因しています。それは、何かをしている時に、頭の中に自然発生的に多くのビジュアルイメージが浮かび上がってくるという現象です。
例えば料理をしている最中に、関連したイメージがどんどん湧いてきて手を止めてメモを取り出始めたりして、結果料理を作ること自体に集中できなくなるといった状況があります。またある時は、ドラマを見ている時にふとあるシーンに気を取られてしまい、画面を一時停止して脳内に様々に派生してくる「イメージ」をランダムに書き留めたりといったこともあります。これではストーリーに集中できないですよね。(笑
しかし現実はそのイメージの具体化のみに生きるという僕にとってのユートピア的な環境下にはいません。なんなら浮遊してくるそれらのイメージ群を払いのけて現実の諸事に向き合う努力をしている位です。
実は僕にとってはそれがとても大変でひどく疲れる要因なのです。多くのストレスはそれら脳内に去来するイメージ群を具現化(ビジュアライズ)できないでいる自分という生き様に起因していると今ではある程度冷静に自己分析できるようになりました。
この多くの葛藤を乗り越えるのにはしばらく時間を要したのですが、色々端折って現時点での結論とするならば、「自然発生的に多くのビジュアルイメージが浮かび上がってくる」ということ自体を自分の特徴であり才能だと肯定的に捉えられるようにしたという点です。
ですので、それを活かすためには「生産的な生き方へのシフト」が必須だったのです。
具体的に効果が上がっている行いの一例として、1日のうちの数十分ほど、それは概ね夜ですが、脳内に渦巻くイメージ群を自由に書き出す「脳内解放時間」を設けたことです。もうそれだけでも楽しく集中できてとても達成感のあるひと時となっています。何より自己肯定感が増していく気もしています。
現時点では、それらのメモの蓄積を何かしらのアウトプットに繋げるという目的意識を極力抑えて、ともかく「産み出す」ことに集中しています。
こういった日々の生活態度は、仕事面にも良い影響を産んでいるようにも感じます。個人的には、仕事と私生活を行ったり来たりするのではなく、その境界を重ね合わせることを理想としていますが、まぁ現実は中々そうはいきません。しかし、仕事をするという行為自体に対しても決して受け身ではなく少しでも「生産的」に向き合うことに自分を位置付けるような意識の働きが増してきているように感じています。
まぁ僕の場合、仕事のあらゆる場面も潜在的には「イメージ群の宝庫」ですし、このようなスタンスを継続できれば文字通り生きているだけで丸儲けといえます。
今後もこういう日々に磨きをかけていきたいと思います。