イメージビジュアル領域の拡大

イメージビジュアル領域の在り方に大きな変化を産み出し続けていく為に、一層の知見を深めるべきではないかと考えている対象を幾つか上げておきます。

  • 芸術哲学
  • 現代アート動向
  • 先端エンタメ動向
  • 表現と技術
  • 社会現象分析(経済学・社会学・比較文化・表象文化・心理学・ナラティブ・・・)
  • 生成AI
  • 人間について(認知心理学・哲学・認知科学・・・・)
  • 事業構築スキル(投資感覚も含む)
  • 個人的経験の蓄積
  • などなどなどなど…..

うわー、大変ですね!!!

とはいえ、これらの領域を横断しつつ個人の主観性との組み合わせにより創造されるイメージビジュアルは、おそらく今流通しているコンテンツ群と大きく異なってくるでしょう。(そう願いたいものですが)

ところで、なんでもアートたり得る(=でもそのほとんどはアートたり得ない)時代になって久しいですが、AI時代はそのテクノロジーを活用することで、単に作るという点においてはみんながアーティストたり得る(=でもそのほとんどは・・・・)という状況になるかもとある種の人々は薄々気づき始めているのではないでしょうか。

なぜなら、みんなが何でも作れる時代が来るとAI勢は言っているのですから、そうだとすると表現されるものの「出来栄え」レベルはかなりの接戦になると予想されるからです。あのデジカメの普及も似たような現象で、あの現像ープリントというプロセスのマジックアワーが溶解しましたものね。

ただそれは、つまり「どうやって作ったか」よりも「何を作るか・どういう意図か」という内容そのものの価値がこれまでにも増して重要になってくるともいえます。

実はこの何でも作れる勢の増加が、イメージビジュアル領域とアートとの境界をもっとあやふやにしていくし、それはアート領域の拡大というよりも、イメージビジュアル領域の拡大という見方を僕はしていて、そこに大きなチャンスを感じてもいます。

例えば、未来志向のアート文脈は「誰でも」の真逆である、個人の主観性をより重視していく流れが強くなるだろうと予測できますし、そこから生じてくるコンセプトを上記に挙げたような対象を横断しながら、ある種の一般化へと翻訳する役割を持つイメージビジュアルが素早く吸収していく構図が徐々に姿を表してくるだろうと見ています。

そしてこの「一般化への翻訳」という作業がこれからのキーワード。誰でも何でも作れる時代というのはコンセプトが不足する時代といっても過言ではなく、そこは長らく続いた客観性優位の時代において、ある種個人の主観の中に閉じ込められたもの・潜んでいたものの解放が待たれるということ。それらが新たなコンセプトの源泉となり得るのです。かろうじて現代アート領域がこの「個人の主観性の解放」をこれまでにも増して促していくだろうと個人的には期待しているのです。

しかし!!(あ、このテーマは長くなるのでまた別の機会に書いてみます)

話を戻しまして、実際の創作活動においては、これらの深めるべき対象全てを個人でカバーするのは至難の業なので、ある種チームというかそれぞれの対象に詳しい人々(決して専門家である必要はない)との協業というあり方がより加速してくるかもしれません。その意味で、これからのイメージクリエイターは、その業際間のハブになり得る役割、いわばプロデューサーやコンセプターという要素をいかに持ち得るかがポイントになってくる気がしています。

そういう次世代クリエイターが活躍する新たな展開を見せるであろうこれからのイメージビジュアルの領域から目が離せません!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です