その年代だからこそ
消費市場に目を向けた時に、多くの大人たちは「若者世代」で起こっている事象の理解を最も重視しているように見えます。
「10代では今これが流行っているんだよ」というような感覚の強弱で「流行りに敏感な人」といった評価も決まってきがちです。
特に、僕のような「イメージビジュアル市場」という特殊な領域に身を置く者にとっては「ビジュアルトレンド」というビックワードの元、「SNS」「世界の広告」「先端アート」「ファッション」「カルチャー(意味不明だけどある種存在するもの)」といったジャンルの、それも若者がクリエイティブの主体になっているような対象を表面的にせっせと追いかけがちです。
しかし、そんな僕もアラ還に差し掛かり、遅まきながらそのような自分に違和感を感じることもしばしばです。最近は特に正直「疲れる」という感覚も出始めてきました。疲れる、というか飽き飽きしている、という表現の方がより正確かもしれないですが、あれもこれもの「類似的パターン」に対する許容度が低下してきていると感じる日々です。
例えば、ある時期異常に嵌ったストリートフォトにしても、当時はあらゆるものが新鮮で「主観的偶然の視点」というものにめちゃくちゃ刺激を受けていました。しかしいつの間にかSNS上で「披露」する目的が徐々に優位になってきてしまい、結局のところ「既視的他者性の視点」、つまりこれがウケるだろう?的な人気のありそうな視点を探す傾向へとながされていってしまうのです。
かといって単に「違いを出す」というサイクルに陥ると実は途端につまらなくなりますし、もっというとシャッターを押せなくなります。(そんな状態を乗り越えた先に到達する何かを目指せよ、というアドバイスが飛んできそうですが….)
そんな中、先日ある40歳代であろうある俳優が
「その年代でしか演じられないことがある」
と語っている内容のインタビュー記事を目にしました。
すーっと入ってきました。
こんな感覚をもっともっと大事にしても良いのかも知れませんよね。イメージビジュアルの場で言い換えてみるなら、
「その年代でしか撮れないものがある」
ですね。
無理に他の世代の「トレンド」なるものに首を突っ込んで消耗するのではなく「各世代が自分の世代を表現すること」が大きな意味でイメージビジュアルの価値ある多様性のひとつの形を作っていけるような気もします。
特に、高齢化社会の先進国でもある日本では、シニア世代の手によるシニア像のイメージビジュアルの洗練化(アップデート)というゾーンが極端に不足していて、別の世代によるかなりステレオタイプ的イメージが氾濫しているようにも感じます。
シニアだからトレンドに疎い、という捉え方を脱ぎ捨てる必要があります。むしろ、当事者だからこそその領域の最先端を地でいけるポテンシャルがあるわけです。
勿論、若いクリエイターとシニアコンセプターとのコラボもありです。要は当事者的視点をどのように取り入れるか、なのですから。
イメージビジュアル市場にもっと当事者の視点を!