何がつくられたのか
先日XのTLに流れてきた投稿
いや実際すごいです!
しかし、ふと「これはAIで作られたんだよ!すごいよね!」とツール賞賛軸で騒がれているうちは、クリエイター側はまださほど焦る必要もないよなと思いました。
なぜなら、そういったツールの多くは一般化されて初めて実態に影響が及んでくると想定されるから。一般化される、ということは「誰でも使える」ようになるという意味です。
ですので、ツール使用の優位性で勝負しているなら別ですが、より大事なのは「何がつくられたのか」という最終的なアウトプットになってくるのでしょう。
その意味で、カメラや従来のクリエイティブ系ソフトのようにそのテクノロジーの更新を追いつつあくまでもツールとして使い倒していけば良いだけのことだと考えています。(実際テクノロジードリブンだ!という身近のエンジニアたちにしてもそういう傾向あったりします)
とはいえ、気に留めておく点は勿論あります。それは、AIが進化することによるその「何が」に関する変化の観点です。あるアウトプットに到達するための方法論が従来と大きく変わってくるのであれば、「何が」の在り方にも影響を及ぼす可能性もあるでしょう。そういった変化をどうクリエイティビティに反映させるかというクリエイターの役割はますます重要なものになってくると予想しています。
しかしこれもよく考えてみると、AIが普及しようがしまいが従来と同じ構造です。クリエイターの役割というのはテクノロジーがどうなろうがある種普遍なのでしょう。
この技術的変革の不透明な時期は、既存のテクノロジーやツールをベースとして使いつつも、コンセプトメイキングのスキルアップに励むのが吉かも知れません。