デュシャンと文脈

さぁデュシャンです。

彼のこの作品の良さあるいは意味を考え続けています。

少なくとも好きかそうではないかは多くの方々が主観的な判断はできそうですが、正直に言いますと僕はしばらくの間一体何が良いのかわかりませんでした。

例えば彼のレディーメイド作品群。特に上記の「便器?え?」と。

理解させられている「レディ・メイド」

そんな中でも、この作品を「理解」するヒントは現代アート を学ぶことにあります。その入り口でほぼ必ず「デュシャンとは」を目にします。そしてあれこれと文献に触れながら関連知識を付けていく過程で「その凄さ」が徐々にわかってきたような気になってくるのです。いやどちらかというと「理解させられている」と言ったほうが正確かも知れません。

つまり「理解した」という感覚は、それはズバリ作品そのものの良さとか価値とかを本質的に内面化できたということではなく、多くの文献やテキスト群が「デュシャンの”レディ・メイド”はそう理解しなさい」と告げてくるのを受動的に受け取ったということなのです。まぁ文脈に乗せられたとでもいいましょうか。少なくとも個人的にはそんな感覚。そもそも、実際、実物見たことないですし….

新たな文脈

モダニズム以降のアート作品は美的価値としての写実主義を離れ、作品そのもので何かを(例えば”美”を)判断することが難しくなってきたと言われています。その意味でデュシャンという写実主義的美的価値を真っ向否定するアーティストの登場は「新たな文脈」という価値をアート市場にもたらしたらしいのです。

これは

「アートは(多元的になってきたという意味で)何でもありとなった。すなわち、いかなるものもアートではありえなくなる」(ダントー)

アートとは何か

アートに対する見方の新たな起点となったということでもあります。

つまりは、なんでもありだからこそこの文脈ナラティブの理解なしには本筋のアートワールド(同ダントー)での市民権すら得られない状況が存在しているのかも知れません。

ナラティブへの吸収

そして今やこのアート市場にイノベーションやブレイクスルーが起こったとしてもそれらはアート文脈という強力なナラティブに速攻で吸収されてしまいます。むしろこの文脈は「さぁお次は誰?何?」と次なる新星の登場を強烈に促しているようにも感じられます。そんな脈々と続くしっかりとしたコンテクストが存在する市場はめちゃくちゃ強いなと思います。

ストックイメージ市場での文脈づくり

このようなことを考えていると、ストックイメージ市場にもそんな文脈があったらなぁ、いやあるべきだろう!との思いが沸々と湧いてきます。

その意味で、「文脈構築」というストックイメージ分野へ応用すべきコンセプトは芸術分野(芸術史・芸術哲学・美学・・・・)からの学びに大きなヒントが存在していそうな気がしていて、目下もう勉強中です。(楽しい!)

P.S

とはいえ、デュシャンの意味や価値が何なのかまだまだ靄ってます。もうちょっと向き合いたいところです。

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