心的OSのアップデート
2023年1月ももう半ば。早いものです。私は今年57歳になるので改めて「還暦」という大台が現実感として身近に押し寄せて来ています。
そんな私にとっての2022年とは、自分の様々な部分を大幅にアップデートしなければという焦りも含んだ感覚に駆られた一年でした。中でも仕事とライフワークに密接につながる部分としての「様々な事象がイメージとして人々の意識にどう取り込まれるのか」といった領域に強い関心を持つようになりました。
AI画像生成の立上がり
その要因の一つとしてAI画像生成の現実味が増してきたという点が強く影響しているのは間違いありません。この分野については巷でも情報・解釈が溢れているのでここでは割愛しますが、イメージビジュアル分野の一端で仕事をする身としては正直脅威でありながらも未来の可能性を大いに感じてもいるというある種の葛藤が渦巻います。
なぜ脅威と感じるのか
そしてAI画像生成をなぜ脅威に感じるのかと自問してみますと、今の所2点ほど浮かび上がってきています。
ひとつ目は、シンプルに自らが取り組んできた現状のあり方(ビジネス・サービスなど)がディスラプトされてしまうというもの。ただこれにはある種のイノベーションのジレンマをどう乗り越えるのかという、むしろ脅威が具体的であり、あれこれと試行錯誤の連続で向き合っていく必要がありそうです。
ふたつ目としては、ビジュアルイメージの創造プロセスへそのものへの根拠が揺らいできたことです。このプロセスに絶対的な法則はありませんが、それでも「事象の捉え方の引き出しを増やし」+「関連知識・経験則を常に更新し」+「ビジュアルトレンドのアップデート力」の組み合わせを駆使し向き合い続けることである程度カバーしていけるというところにある種の根拠を置いていました。
ところがAI画像生成の登場により、そもそも「それ」が取り込む既存のビジュアル群の圧倒的なデータ量という点で、もはや一個人の努力の域を破壊的に越えてしまっている状況に無力感を感じはじめています。
生活世界と人間主観
ただ、光明があるとすれば創造されるビジュアルイメージの源となる事象群が隆起してくる構造そのものの捉え方です。あくまでもそれらは個々人と社会・共同体間の関係性の中で生じてくるものであり、いわゆるフッサールのいう生活世界 が先行していると考えても良いのかもしれないという気づきが最近ありました。
つまり、既存の、既知のビジュアルデータの取り込みの土俵では勝負にならなくとも、新たな事象群をその発生の初動でキャッチする方法については人間の主観間の関係性による領域が優位であるし、よくよく考えるとマシーンが取り込むデータの根源は脈々と続くそんな我々の生きる営みから生じているという点に焦点を当てることで、人間による創造性の価値を担保できる要素を見出せるのではないか、とそんな仮説めいたものを突き詰めたいなとつらつら考えています。
心的OSと現象学
その意味で、冒頭に提示した「様々な事象がイメージとして意識にどう取り込まれるのか」はいわば自分自身の心的OSのあり方次第、ということにもなり得ます。
じゃあ何をどうすれば良いのか?とあれこれ分野を跨いで模索する中、昨年後半に「現象学」という分野に行き当たりました。極めて単純化していえばそれは「現象=ある対象の、人々の意識への現れ方」を探求する学問です。まさにこれだ!と閃きまして、これまで表面をなぞって来た雑多な分野(認知心理学・芸術哲学・脳科学・神経心理学・社会学などなど)がなんとなく繋がってくる感覚を覚えました。
そんな訳で、2023年は現象学とその周辺を深く学びながら自分自身の心的OSのアップデートに取り組む元年として位置付けたいなと考えています。まだまだ入門ゾーンあたりをウロウロしていますが、単なる自己満足に陥らないよう如何に活用できるかの観点を忘れずに、学んでいくことを追々と書いていこうと思っていますのでよろしくお願いします。