「はじめての現象学」
「現象学」を学ぶにあたって、まず最初に手にとった一冊はこちらの「はじめての現象学」(竹田青嗣 著)でした。
タイトルに「はじめての」とありますが一度読んでみた感想としてはあと最低2回ほどは読み直し、ポイントの理解に努めないと先に進めないなという感覚が正直なところです。ともかく一旦は現象学の概要を掴むために入門書を3冊くらいは読んでみようと思っています。
超越的価値の取り払い
まずは今後折に触れ読み返す必要性を感じた本書の「まえがき」からの一文を一旦引用しておきます。
この問題はニーチェ=ドストエフスキー的な問いでもある。要するに、まず「神」がいないと考える。「真理」というものもない。世界全体とか宇宙全体とかった想定もしない。「人類」とか「歴史」という目標も取り払う。人格形成、成熟、悟りとか、社会のために、他人のためにといった目的項も勘定にいれない。どんな超越項も任意のフィクションにすぎないと考えておく。そうしておいて、さて、それでも人間は「よいこと」「うつくしいこと」「ほんとう」という目標を作り出し、それに向かうような<欲望>を持つ存在であるかどうか。それを吟味すること。
「はじめての現象学」まえがき (太字強調はブログ筆者)
ちなみに「この問題」とあるのは、著者の考える現象学の原理は「人間的の価値存在(真・善・美)」の問題に接続されて初めてその根本的な意義を示すものである、との前提に由来しています。本書を通じて検討すべきは、現象学的アプローチ(還元・本質直観)を経て上記の引用内で太字で強調した部分をいかに取り出すことができるか(という旅に出発できるかどうか)、というところだと思います。
目的論の不合理性
ふと、自分に馴染みのある仕事の現場などでは、よく「あるべき姿」の設定を起点にすることがありますし、それが当たり前のように考えてしまいがちだということに思い当たります。とはいえ、それは組織を目的論的に動かすには便利といえば便利ですし大きく失敗に傾くこともなさそうな取り組み方です。しかし、その「あるべき姿」が単なるお題目(ならまだ良いのですが矛盾を生じさせる原因となっていないか?)ではなく本質的に個々人に通底させられるかどうかはまた別問題です。その点については常々課題だなと感じているところではあります。
クリエイティブな組織構築への応用
ですから、あらゆる前提を取り払って(≒還元)見えてくるものを取り出し(≒本質直観)、そこから互いの共通了解の条件設定を目指すという現象学的アプローチには、組織論への応用の可能性を感じるものです。特に、ある種のチームで構成されるイメージビジュアルの創造領域、つまりクリエイティブな組織構築への応用が有効なのではと直感的に感じています。参加メンバーそれぞれの感受性を軸に構成される多様なイメージの認識合わせを帰納的なプロセスによって実現する….など。まぁまだまだ薄っぺらな感覚に過ぎませんが。
探求を続けていきます。それではまた。