「正解」に辿り着けない世界

イメージビジュアルの世界に足を踏み入れるということは、ある種「正解」には延々に辿り着けないのだということを肝に銘じています。

なぜなら、社会に生じてくる事象をビジュアライズするということは、人間にとって次々と現れてくる新しい局面(相)という現実と対峙し続けていくということだと捉えているからです。

私たちは、私たちの意識に現れてくるはずのそれらの局面(相)を全て認識し尽くすことは理論上できないですしそもそも経験もできません。

例えば、意識に現れてくる世界の構造を現象学的に  ①直接経験できる世界 ②伝聞・情報の世界 ③神話や物語的なフィクションの世界と括るならば、それらごとに、あるいは重複する領域からやってくる直接的/間接的/疑似的現実の解釈を咀嚼する分野まで含めると、それらの相が一体どのくらい存在するのかと考えることすら無駄というものです。

イメージビジュアルという表現形態はどこまでいっても、それらの一断片をなんとか掴み取ることなのですから創作の対象となる現実が枯渇することは人類が存続する限り永遠にありえません。

その意味では、この分野においては「アイデアが浮かばない」「何を撮ったら・描いたら良いのかわからない」という状況への陥りはそれほど心配する必要はないといえるでしょう。

ですので、イメージビジュアルの世界を『「正解」に辿り着けない世界』であると捉えるということは、ゴールが見えないラットレース的な苦しみに満ちた世界ではなく、むしろ向き合うべき無限の世界が広がっているのだし「正解」をどこかに求めなくても良いのだと捉え直すことで自分自身のクリエイティビティの可能性を試してみたくなる魅力的な領域として少なくとも私の意識へは現れてきています。

この先、個人(チーム)の発信するイメージビジュアルの世界がどうなっていくのか楽しみで仕方ありません。

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