ミール・ミール!(世界平和のために)

「腹のことを考えない人は頭のことも考えない」という文学者/サムエル・ジョンションの言葉を副題的に引用する、開高健の「最後の晩餐」というエッセイ集を再読しています。

その中の一作品の中で、ふと「ミール・ミール」というロシア語の言葉が目に留まりました。今まで何度か読んでいたのに全く記憶に残っていませんでしたが、今は流石に、といったところでしょうか。

・・・私の知っているロシア語のカタコトの食事に関するものといえば、”キャヴィア”、”ボルシチ”、”グリブイ(茸)”、”タバカ(グルジア風の鳥料理)”、”シャシリク”、それに食中の乾杯の”ミール・ミール”(世界平和のために)”と、食後の”スパシーボ(ありがとう)”ぐらいであるが、・・・

最後の晩餐-どん底での食欲ⅲより」開高健

”シャシリク”という聞きなれない言葉になぜ訳が付いていないのか不思議なのですが、ま、それは傍におきまして、”ミール・ミール”とは「世界平和のために」という意味なのだと知りましたが、そんなことよりもその言葉が食事中の乾杯時に発せられている(いた?)ものであるということの方に気持ちが揺さぶられました。

なんとなくですが、食事中には何度か乾杯してそうなイメージがあるので、それこそ至る所で頻繁に口にされていた言葉なのかも知れないないなどと思いを巡らせたりしました。

このエッセイが書かれたのは昭和52年あたりなので西暦にすると1977年となります。その当時の彼の地はまだソ連時代だったということもあり、このようなまさに生活世界の実情がどのようなものだったのか知る由もありません。現在の人々にも少なからずあてはまったりするのでしょうか。

今、僕がソ連の後継であるロシアに抱いているイメージというのは伝聞・情報の世界 を通して自分なりの解釈で描くしかなく、そこから「ミール・ミール」のような言葉が現代のロシアの人々の間で、それも食事中に和気藹々と発せられている状況をイメージすることはなかなか難しいのが正直なところです。しかし、こうやってあえて意識し対象に感情を移入することで異なる世界の存在の可能性を想像することはそれなりに可能です。

そういう意味では「実際に経験すること」が最も重要だなと思うのですが、人間は世界の現実を全て経験し尽くすことはできません。ですので、単に情報を素直に受け取るだけでなく、一度立ち止まって視点を変えてみるといった態度も時として大事なことなんだなと思いました。

そんな気づきを与えてくれる開高健大先生のエッセイ群はすごいなぁ(語彙!)と改めて感じ入っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です